
昨年の11月から病院で療養中だった父が、今月9日。静かに息をひきとりました。享年73歳。
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父の病名は肺がんでした。進行の早いタイプの小細胞がん。抗がん剤で治療するのが普通で。80%効き目があるけれど。再発、転移の確立が高いのだとか。転院先の都内のガン専門病院で診察した時点で末期がんということでした。父は、なんとか助かりたいとこのときは強く思っていたようです。一応末期がんだけれども。小細胞がんは、抗がん剤がよく効くという言葉で父は少し安心した様子でした。でも、父と私が検査で診察室を出ている間に。母と旦那様は父の余命が短くて一ヶ月。長くて一年と医師から告げられました・・・。父はこのことは、最期まで知りませんでした。いや、分かっていたかもしれませんが・・・。
気管から内視鏡を入れて、肺の組織の検査をする予定だったのですが。不運にも。この日は、検査できる先生が留守で。検査が出来ない状態に。きちんと小細胞がんと診断が付かないと治療に進めない、どうして、前にかかっていた病院でこの検査をしなかったのか、医師に怒られてしまいました。しかし、父のそのときの体調があまりよくなかったらしく。その病院の医師も無理にはできなかったようです。
それでも、父の状態はかなり深刻ですから。医師は、父の首から針を刺しそこから採取した血液、もしくは分泌物(何を採取したかは、はっきりわかりません)を採取。そこで、明確に小細胞ガンと診断をつけられました。すぐに抗がん剤治療にかからなくてはならないのですが。やはり入院は、10日先と言われ。私は、このとき、体全体の血の気が引いたのを今でも覚えています。だって、何も治療しないで自宅待機すれば、父の命は確実に一ヶ月もたないと分かりますから。素人でも・・・。何とか入院して、苦しそうにしている父を少しでも楽になればと祈るような気持ちでいました。
すると、運がいいことに、緊急用の部屋が空いているのでということで、翌日父は入院出来ることに。本当にこのときは救われた気持ちでした。
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入院して数日後。抗がん剤治療が始まりました。ある程度の副作用は覚悟していたのですが。吐き気止めの薬剤も使うのが主流のようで。投与治療の間。吐き気に襲われることは、父の場合全くありませんでした。全身の倦怠感、脱毛はあったけれど。脱毛もいい具合に^^はたから見でも、最期まで可哀想そうな頭には見えない感じでね^^
幸いに、ガンはかなり小さくなったのですが。もともとの父の体力がなく。薬によってさらに体力を奪われていった感じで。それに、痰が自分で出せなく。その痰が誤嚥して時々肺炎もおこしてました。そのたびに酸素をつけたり・・・。体力があれば、自然と心も軽くなり、食欲も出て。病気に打ち勝つ力も湧いてくるのだと思ったのですが。父の場合は、反比例。治療の成果がかなりあったのに。その成果が上がるほど、体力がどんどん低下してしまったのです。
医師から治療の成果はあるのですが、体力がそれに追いつかず。3回目の抗がん剤投与は不可能だと告げられました。もし、それをしてしまえば、それは殺人行為になってしまうと・・・。つまり、もう治療は出来ないということです。ということは、もう、病院にいる意味は、父にはなくなってしまったのです。
ここから、家族は辛い思いに苦しめられるのでした。
どんなことに苦しめられたのかは、別ブログでこれからまとめていこうと思ってます。介護の仕事をしている私に父が大きな宿題を与えてくれたように思います。実際に末期がんの患者さん、そして、その患者さんを支えていく家族の苦悩。私は、全く知らないこの世界に驚きと、そして知る必要性と。もっとサポートできる受け皿の必要性を強く感じました・・・。
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残念なことに、私は父を看取ることが出来ませんでした。息をひきとった前日。私一人が父のお見舞いに行き。いろいろ話をして、時折、笑顔を見せながら父は私の話を聞いてくれました。今まで私に清拭させなかった父でしたが。看護師の方と一緒に足を清拭させてくれたんです。きっと、ここで私と別れを告げたんだと今でも思ってます。仕事を無理に休んでまで来るな。ちゃんと仕事しなさいと。そんな父の性格だからな・・・。
病院に向かう電車の中で。父には、笑顔でいってらっしゃいと言おう、絶対に泣かないと心の中で決めていたのですが。やはり、無理でした。父の穏やかな顔見て。いってらっしゃいは、やっぱり言えませんでした。見送り出来なくてごめんなさい、でした。自分の中で。看取りをするのが最後に出来る親孝行だと思っていたのに。それが出来なかった自分が本当に悔しくて・・・。そして、父に申し訳なくて・・・。絶対に泣かないと決めていたのに、ダメでした。
遠方から来てくれた、父のお兄さん、そしてお嫁さん、そして、母に看取られて、安らかに永遠の眠りにつけた父。最期は、お兄さんと握手して、そしてそのまま静かに眠っていったそうです。苦しまずに眠りにつけて、本当によかったし、安心しました。
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葬儀も無事に終えることができ。母も、気持ちが落ち着いたようです。葬儀も、当初はこじんまりとしようと考えていたのですが。実家のご近所の方々。そして、弟や旦那様の会社の大勢の方が寒いなか参列してくださいました。本当に、本当に嬉しかったです。父の古い友人の方も、御通夜、告別式と参列してくださいました。父は本当に幸せ者です。
父が亡くなった後。
不思議なことが起きました。
母が実印を失くしてしまい、実印なのでないと困るということで新しい印鑑作ったそうです。告別式の前日、父の棺に入れる着物をチェックしたら、そこから探していた実印が出てきたそうです。留守にしがちだから母はそこに隠したのでしょう。着物もそのときは探したらしいのですが。きっと父は大切に預かってくれてたのかな^^
そして、告別式が終わり収骨の時間までお昼を食べていると。長女チャンがずっと泣いていたんです。あとから、彼女は、何でだかわからないんだけど、急に泣いちゃったんだよと言ったんです。長女チャンに対して。小さいことから父は、可愛い、芸能人になれるとずっとほめてくれていたので。きっと、父の皆への感謝の気持ちが長女チャンに乗り移ったのかもしれないな^^
そして。
お葬式が終わって。私は、あることで義母さんに対してどうしても壁を作りたくなる思いが生まれてしまい(詳しいことは書けずにごめんなさい・・・)、どうしようもなくなり。精神的にしんどくなってしまいました。どうしてこんなときにと、自分で消化をしなくてはと思ったけれど。どうしてもダメで・・・・。旦那様に全てを言いました。今までだったら、私が大人になればいいと、そういうような答えを旦那様は私に出したのですが。
今回は、旦那様が、きちっと義母さんに言ってくれたみたいです。そして、初めて、私に義母さんは謝ってくれました。13年間一緒に暮らして、初めての謝罪です。私の思いが伝わってくれたんだと思います。きっと、父が旦那様に言わせてくれたのかな。今までとは違い、しっかりと旦那様は義母さんに私の思いを伝えてくれたようです。
父がいなくなった今。常に守ってくれている気がします。今までは、もう一人の自分が守ってくれていると思っていたけれど。父が守ってくれれば、怖いものなしだし。何か決断をしなければならないときでも、相談できそう。母は父を失った悲しみはあるけれど。精一杯父を看たので。これからは、母自身の人生を謳歌してもらいたいですね♪
最後に、私を支えてくれた家族、そして、温かい励ましのメールをくれた大切な友だちに、心から感謝します。本当にありがとうございました。
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