先週の金曜日、母から、祖母が息を引き取ったと連絡が入った。
祖母に会ったのは昨年の春ごろだったかな。もう90歳を越え、体力もかなり低下しているのと、認知症もあるということで。家から遠い祖母の住む岐阜へはたやすく行くことは出来ないと思って。とにかく少しでも元気なうちに、私のことがわかるうちにと、母と一緒に行ったのが最後だった。
そのころは、私のことを覚えてくれていた。一緒に食卓をかこみ。当時25キロしかないちっちゃな体でも、よく食べていた。私の分までおいしそうに食べていた。そんな姿を、なんともかわいらしく思えた。
今、話題の老々介護。祖父は90過ぎた体で昨年祖母が施設に入所するまでがんばって祖母を介護してきました。しかし90歳の過ぎた体はもう限界をこえてます。このままでは、祖父も倒れてしまうということで、昨年の秋ごろから施設に入所。そこでは、とても穏やかに過ごしていたそうです。
しかし、数ヶ月前から口から食べ物が摂取できず、胃ろうで栄養摂取。それが最近うまくいかず、別の箇所からこころみたそうですが。もう祖母の体は限界が来てしまったようで。昨日の金曜日の午後、永遠の眠りについたそうです。ちょっと苦しんだそうですが、その後は安らかだったそうです。
私が小学生のころ、よく祖父祖母のもとへ遊びに行ってました。父の運転する車で行ったり、新幹線で行ったり。とにかく都会育ちの私には、自然に囲まれた祖父母の暮らしがとって好きであり、憧れでもあった。
祖母は私や弟がしたいことを笑顔でうなずいて、なんでもさせてくれた。近所のお店で、お菓子買いたいと言えば、小銭を渡してくれたり。家の裏にある畑においしそうなトマトをとって食べたいと言えば、好きなだけとって食べていいよと言ってくれたり。
子どもの時分とっても気になっていた七輪でとれたてのピーマンを七輪で焼かせてくれたり。ちょっと茶目っ気のある笑い方や、ものの言い方は、とっても可愛らしかったな。
父の時にも思ったのですが。祖母が亡くなって再び身内である自分が介護の仕事をしていながら、何か助けることが出来たのだろうかと自問自答した。やっぱり、無力だったかもって、落ち込んだ。私も家庭があるし、家庭を差し置いて、っということは正直難しい・・・。それでも、もう少し家族の理解を得て出来たことがあったかも・・・。
介護職についていなければ、強い後悔の念を抱かなかったかもしれないけど。だけど、なんとかしてあげたいと思いながらの仕事柄でね。身内だとその思いはさらに強くなってしまうのだ・・・・。
後悔の気持ちって、すごく辛いですね。
家族の協力をお願いしながら、もう後悔しないように、身内に何かあったらもっと出来るだけのことはしてあげたい思う。、もうほんとに後悔したくないので・・・・。
昨日、祖母に最後のお別れをしてきました。遺骨を祖母が暮らした家に持ち帰り。遺影の前にお骨は置かれました。祖父は祖母の遺骨の前でお経を読んでました。最近ちょっと体調を崩したそうだけど、しっかり読み上げてました。
90歳過ぎているのに、つい最近まで車の運転をしたり。畑の仕事は今でもやっていて。家事も出来る範囲でがんばっているそうです。90歳過ぎても昔とあまり変わらない祖父。ほんとにすごいなと思う。祖母の介護、立派に務め上げた。本当によく頑張ってねと手を握った。
長年連れ添った祖母がいない今。しばらくは寂しい思いはあると思うけど。今、第3の人生が開けたんだ。優しいご近所さん、そしてヘルパーさんに見守られながら、自分のペースで毎日を過ごして欲しい。休みの日は、ひ孫を連れて行くと約束して、岐阜を離れました。
最後に、日帰りで、岐阜・自宅往復大雨の中運転してくれた旦那様にほんとに感謝☆
♪♪しほちゃん、がんばって♪♪
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